40歳で教員から企業へ、50代で再び高専教員-日本-

教員を辞めて民間企業へ移った後、再び教員に戻る。しかも、最初の転職が40歳、その次の転機が50代半ばという教員のキャリア事例が公開された。

2026年9月30日、「月刊高専」は、一関工業高等専門学校の阿部林治教授のキャリアを紹介した。阿部氏は民間企業から高専教員、高専教員から民間企業、そして再び高専教員へと職場を移っている。月刊高専

27歳で企業から教員へ

阿部氏は大学院修了後の1991年、大井電気に入社し、研究開発に携わった。

約2年後、母校である一関高専の教員ポストに空きが出たことを恩師から聞く。企業での仕事にはやりがいを感じていたが、実家に近いことなども考慮し、27歳で母校の助手になった。月刊高専

ここまでは「企業から教員へ」という転職である。

しかし、その後のキャリアは教員を続ける一本道ではなかった。

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40歳で教員から民間企業へ

一関高専に約12年間勤務したころ、民間企業から自身の研究テーマと重なる共同開発の申し出を受けた。

共同開発を進めるなかで民間の開発業務や職場に魅力を感じ、博士号を取得した時期とも重なったことから、40歳でアルプス電気へ転職した。

教員経験を捨てて全く別の仕事を選んだというより、自分が持っていた時系列信号処理などの専門性を企業側へ移した形である。

企業では車載カメラの画像解析アルゴリズム開発に携わり、その後はグループ会社でAIを含むソフトウェア開発へ領域を広げた。音声信号処理から画像処理、AIへと仕事内容は変化したが、プログラミングやセンサーデータ解析という専門軸は続いていた。月刊高専

50代半ばで「このままでいいのか」

さらに転機が訪れたのが50代半ばだった。

若い社員が比較的多いソフトウェア会社で働くなか、阿部氏は自分のポジションや役割について考えるようになり、「このまま同じことを続けていいのか」と感じるようになったという。

その後、「地元に貢献できる仕事がしたい」という思いが強まり、偶然見つけた一関高専の情報・ソフトウェア系教員の公募に応募した。

2021年、再び一関高専へ戻った。現在は教授を務めている。月刊高専

転職しても、これまでの経験は切れていない

この事例で特徴的なのは、学校と企業を行き来しても、それまでの経験が分断されていない点だ。

企業で経験した画像解析やAIは、再び高専に戻った後の研究につながっている。

一方、企業時代には同僚がメンタル不調で退職した経験もあった。その後、産業カウンセラーの勧めで100時間を超える実習研修を受け、資格を取得している。この経験は現在、学生との距離の取り方や言葉の使い方にも生かされているという。月刊高専

今回の記事はメンタル不調を経験した教員本人の復職事例ではない。その点はSK進路の中心対象とは区別する必要がある。

一方で、教員本人の進路を「教員を続ける/辞める」という二択だけで捉えない材料にはなる。

阿部氏の経歴では、企業から教員、教員から企業、企業から再び教員という移動が起きている。40歳でも、50代でも進路を変更している。

そこで共通しているのは、職場を変えるたびに過去を捨てるのではなく、自分の専門性や経験のうち、次でも使えるものを持って移っていることだ。

教員を離れることと、教員として培ったものを失うことは同じではない。また、一度教員を離れたことが、その後教員へ戻れないことを意味するわけでもない。

復職、現職継続、異動、退職、転職を比較するとき、「どこに残るか」だけでなく、「自分の何を残して、どこへ持っていくか」も進路判断の材料となる事例である。

出典:月刊高専「母校の高専に2度就職」、2026年9月30日公開。月刊高専

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